診療所の位置する東吾妻町坂上地区は、大戸(おおど)、萩生(はぎゅう)、本宿(もとじゅく)、須賀尾(すがお)、大柏木(おおかしわぎ)の五つの小字地区があります。
1889年(明治22年)4月に、町村制施行により、大戸村、萩生村、本宿村、須賀尾村、大柏木村が合併し、「坂上村」となりました。
そして1950年(昭和30年)3月に、昭和の大合併により、原町、岩島村、太田村、坂上村が合併し、「原町」となり、翌1951年(昭和31年)2月に、原町が改称し「吾妻町」となりました。
そして平成の大合併により2006年(平成18年)3月、東村と合併し「東吾妻町」となりました。
①河川
坂上地区は、その中心を、主流となる温川(ぬるがわ=上流に浅間隠温泉郷がありその温泉のお湯が川に流れ込み温い川であったのがいわれか?)が西から東へと(須賀尾→本宿→大戸)流れ、その北に平行した支流である今川(いまがわ)が大柏木→大戸と流れ、南からは支流の見城川(けんじょうがわ)が榛名山の裾野を萩生→大戸と流れています。それぞれ大戸で温川に合流し、温川は、下流の郷原(ごうばら)で吾妻の主流である吾妻川に合流し、渋川で利根川と合流し太平洋に至ります。坂上地区ではその河川が作った河岸段丘に主に村落を形成して居住しています。
②山
坂上地区を取り囲む山々は新生代新第三期の火山が山体崩壊を起こし、カルデラの一部分だけ残ったものが長野原や高崎市倉渕町との境を作っています。
また、大戸診療所の東100mほどから北方面に妙義山のようなごつごつした岩山があります。坂上地区の隣の岩島地区郷原の北に位置する岩櫃山(いわびつやま)や妙義山とほぼ同時期に同じ成因で作られたものです。新生代新第三期(約700万年前)に海底火山の噴出物によって作られた角張った石と火山灰で作られたごつごつした岩(凝灰角礫岩=ぎょうかいかくれきがん)が長年の風雪に耐え、浸食に耐えて残ったものです。坂上地区の多くはこの地層が基盤となっているため地震でもあまり揺れません。東には名峰榛名山が鎮座しています。
また高崎、前橋、富岡などから見ると、北西~西の方角にきれいな双二峰の富士山型の山が見えると思いますが、それが「浅間隠山(あさまかくしやま)標高1757m」です。地元では「やはず山」と呼んでいます。
長野原との境である二度上げ峠からの登山口と、須賀尾の温川の源流近くから登る登山口があります。
二度上げ口は稜線伝いに歩くルートであるため比較的容易に上れますが、須賀尾からの登山も魅力的です。登山道は地元の有志団体である「やはず会」が春と秋の二度、町の依頼を受けて登山道整備をしてくれていますので登りやすい登山道となっています。
山頂からの眺めは「360度絶景の一言!!」西を見れば名峰浅間山が一番美しい山容で一望できます。また北~東を見れば白根山、白砂山、谷川、榛名山系など上州の名峰が一面に見渡せます。南方面を見ればギザギザの山容が特徴的な妙義山(表妙義・裏妙義)が見えます。条件さえ良ければ富士山も頭をのぞかせているのを見ることもできます。
しかも登山の帰りには浅間隠温泉郷の露天風呂で汗を流しながら、ゆったりとできます。
隠れた名峰「浅間隠山」に一度訪れてみてはいかがでしょうか。
③農業
この地区の特徴的な農産物は、コンニャク・トウモロコシ・みょうが・枝豆・花いんげん豆などです。トマトなどのハウス栽培も盛んです。普通スーパーなどで売っているコンニャクはいったん粉砕し乾燥加工して粉にしたものから作りますが、生のコンニャクいもから作るコンニャクはたぶん一般の方が知っているものとは別物と思います。とにかく煮物にすれば味が良くしみこみ、さしみと同じように食べられます。一度食べたら癖になると思います。また、トウモロコシや枝豆は収穫してからすぐ加熱処理しないと甘みや風味がすぐに消えてしまいます。本当の旬のトウモロコシや枝豆を食べたら、今まで食べていたトウモロコシや枝豆が本当の味ではないとすぐに気づくはずです。それくらい違います。地元でも地元の方が朝取りの取り立てを売っている直売所や無人販売所がたくさんあります。近くにお越しの際は是非お立ち寄り下さい。
坂上の各地区には、大戸地区の畔宇治神社(くろうじじんじゃ)、萩生地区の浅間神社(あさまじんじゃ)、本宿地区の吉岡神社、須賀尾地区の諏訪神社、大柏木の佐奈神社・諏訪神社と6つの神社があります。
それぞれの神社では春と秋の年2回、4月に春祭り、11月に秋祭りが行われています。
大戸の畔宇治神社と萩生の浅間神社では「獅子舞」が、本宿の吉岡神社と須賀尾の諏訪神社では「神楽」が奉納されます。各地区で保存会を設けて代々受け継がれてきました。
また、須賀尾地区では、新年1月の第2土曜日(年によって若干異なります)に、「鳥追い」を行います。
子どもたちにとっては「ミカン投げ」として地区以外の子どもたちにも知れ渡っている行事です。
獅子が須賀尾地区の各家をまわり、「は~らいじゃ~、は~らいじゃ~」と一年の健康を祈り、その家の人の頭をかじます。その後、お祓いと鳥追いの意味を込めてミカンを投げたのが始まりです。今はミカンの代わりにお菓子を投げる家が多くなっており、多い子ではミカン箱に入りきらないほどのお菓子を拾います。子どもたちにとってはまさに夢のようなひとときとなります。
それぞれの地区以外の人にはあまり知られていませんが、どれもすばらしいものです。今後このホームページを通じていろいろな方に披露できたらと考えています。今後写真などアップさせていただき、少しでもそのすばらしさをお伝えできたらと思います。
大戸の畔宇治神社(くろうじじんじゃ)では春(4月11日前後)と秋(11月18日前後)に五穀豊穣と豊作を祈願して獅子舞を奉納します。
須賀尾地区の『諏訪神社太々神楽奉納』の様子です。
この場面は、この日一番の盛り上がり所の恵比寿様の餅投げの様子です。
子どもも大人も関係なく餅拾いに一生懸命です。
神楽殿遠景。1年に2回、4月29日の春祭りと11月3日の秋祭りの2回行われます。
神楽保存会が自ら模擬店を出店しています。
焼きそば、揚げ物、くじ引きなど。
こちらも同じく神楽保存会による群馬名物『焼きまんじゅう』です。